文学は錯覚に過ぎない

 『文学の読み方』さやわか(星海社新書)

 少し前にも触れましたが、人生において何だかテンカウントを聞くのも近くなってきた今日この頃、はたと思い立っての人生の「学び直し」に、わたくしは「文学」を選ぼうと思ったのでした。

 しかし、テンカウント間近で「学び直し」もないだろうという囁きは何より自らの耳に届いており、その後細々と何冊か文学関係の本を読みましたが、いっこうに学問深化はならず今日に至りました。(あたりまえですか。)

 今回も、退屈しのぎに図書館に行ったらたまたま見つけた本ということで、真面目でひたむきな学習意欲が今ひとつ感じられないのですが、ともあれ借りて帰って読むことにしました。

 本書のオビにこうあります。

   文学は『現実』も『人の心』も描けない。
   すべては”錯覚”にすぎないのだ。


 まー、オビのコピーとは、ひたすら売るために煽ることがその目的の文章でありますから、別にかまわないとも思うのですが、しかしテンカウント間近の者が折角ああでもないこうでもないと迷った末に一応選んだ学問ジャンルを無価値のごとくに書くコピーは、やはり微妙に不愉快で、本書を読むに至ったということです。

 本書の主張はこの一冊の中に何回となく書いてありますので、簡単にまとめることができます。それはこういうことです。

 ①「文学とは、人の心を描くものである」とか
 ②「文学とは、ありのままの現実を描くものである」というのは錯覚だ。


 ……うむ、「文学シンパ」を自称するわたくしとしては、これは放っておけぬ、非道の極み乱暴狼藉の如き論調、これは降りかかる火の粉は払わねばならぬ、と押っ取り刀で読んだのですが、……結論的には、とても面白かったです。

 まー、何といいますか、よーするに、勝手に言葉に価値判断の色づけをしてはいけない、ということでいかがでしょう。
 あまりあれこれ書いて本書への人々の読書意欲をそぐのもよくないと思いますので、一言だけ付け加えますと、「錯覚」とは必ずしもマイナスイメージの言葉ではない、というあたりですかね。

 後は、よく分かる近代日本文学史のおさらいなんかが書かれてあって、私は一つ賢くなりました。それははしなくも学び直しの文学学習を行ったのと同じで、まずはめでたく……。


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