ほれぼれとした「潔い生」を読む。

  『聖の青春』大崎善生(講談社文庫)

 年を取ってきまして、いろんな身体のパーツが不自由になってきました。
 ただ、これは不自由なのかどうかよく分かりませんが、老眼がひどくなってきたのと前後して、涙腺がきわめて緩くなってきたような気がします。

 あるいは涙腺の緩さはもともとだったのが、若い頃はそれが恥ずかしくて必死に我慢していたのを、年を取ってきて外聞を構わなくなったのと同様に、涙腺のゆるみについてもムリをしなくなっただけかもしれません。
 いろんなものに面白いくらい、ぽろぽろ涙がこぼれます。

 さて、この本は十年ほど前に、29才で死んだ天才棋士・村山聖のドキュメントです。
 何回か、泣きました。

 そもそも僕は、スポーツ・ドキュメントについてはフェイバレットでありますが、実は将棋の本も好きです。
 といっても、将棋そのものはヘボなもので、だから専門的なことはほとんど分からないのですが(だからあまり専門的すぎるのはダメ)、なぜか将棋の本については、読んでいてなかなか面白いと感じます。
 
 でもこの本は、将棋の本だから面白いという内容では決してありません。
 (女房にも薦めましたら、やはり読んで感動していました。女房は、将棋のルールなどほとんど知りません。)

 この将棋指し村山聖の生き方の中には、間違いなく、金もいらない名誉もいらないという、ほれぼれとした「潔い生」があります。
 「潔い生」というものが、将棋に全人生を賭けてとことんそれを追求する彼の生き方の中に、手に取ることのできるような具体的な一つの形となって現れています。

 ただ、そういった「潔い」生き方が、往々に「早すぎる死・惜しまれる死」などというものに裏打ちされているということについて、もっと言えば、その「死」があるがゆえに我々は感動しているのかも知れないということについて、ある種の後ろめたさを伴う残念さがあります。

 人間とは、本来、利己的ではかない存在ではありますが、「病」とか「死」に彩られてしまわない、「金もいらなきゃ名誉もいらぬ」という潔い生き方と感動は、やはりなかなか得難いものなのでしょうか。

 ともあれこの本は、大いにお薦めの一冊であります。

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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

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