「未熟なる若さ」を再認識する。

『啄木・ローマ字日記』石川啄木(岩波文庫)

 夜、一杯飲んで横になりながらテレビを見ていたらそのままうとうとしてしまい、目が覚めたら、NHKでドラマをやっていました。

 なんだか見たことのありそうな男女が、どうも恋愛物らしきドラマをやっています。
 しばらく見ていて(というか、劇中で名前を呼んでいてわかったのですが)、あ、これが例の韓国のドラマか、この男優が例の「ヨンさま」かと、そんなに興味を持っていたわけではありませんが、ぼんやりと見ていました。

 連続ドラマの一回分を見ただけですから、全体の筋はよく分からず、そして、展開上どうも不自然な感じのする箇所はありましたが、その一回分だけの印象を言えば、それは非常に瑞々しいものでありました。
 もう十年近く前になります、僕が初めて韓国ドラマと出会った時のことでした。

 そしてあの時の切ないような瑞々しさを、個人的に大いに感じたのが、今回の『啄木・ローマ字日記』でした。
 この本には何というか、かなり切ない青春像があります。

 不如意な現実にぶつかって憤り嘆く未熟な主人公(=石川啄木)の姿が、日記という飾りの少ない形式の中で巧まずして生き生きと描かれ、そこに現れる青春の矛盾・撞着が、もはや青春期を過ぎ去った読者にも、自らの往時を切なさと共に蘇らせてくれる(蘇らせてしまう?)という作品でした。

 もちろんそういった甘さ以外のものも描かれてはいるのですが、読者の特権として、僕はこの本を、そんなセンチメンタルに浸るようにして読んでしまいました。

 年を取ってくると、今更青春なんていわれてもなぁ、という感覚がどうしようもなく付きまといます。しかし、この「未熟なる若さ」の感覚は、やはり何時までも失ってはいけない視点であるかなと、柄にもなく思ってしまいました。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

コメント

Re: No title

 うたのすけさん、コメントありがとうございます。
 青春について書かれた文章を読んだ時に思う「切なさ」の正体は、うたのすけさんが指摘された「一方で成熟したいとも思い、また他方未熟なままでいたい」という感覚なのかも知れませんね。どうも有り難うございました。

No title

わが身を省みて、一方で成熟したいとも思い、また他方未熟なままでいたい、と欲張りなこころは何時まで続くんですかねぇ・・・。

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